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教え・歴史

お釈迦様の教え

南無妙法蓮華経
南無:従って参ります、生きて参りますの意。
妙法蓮華経:法華経に書き残されたお釈迦さまの教えの内容=(人を軽んじることなく、他人を尊び常に自分を高めることを大切にして生きていってください。)
2500年前。
お釈迦さまは、人々の心の救済に仏教を説かれました。
お釈迦さまは言われました。
「私の滅(死)後、500年はまだ、正しい仏法が残っているでしょう。
1000年後、正しい仏法は薄れますが、お寺やお経を大切にされるでしょう。
しかし、1500年後になると、人々の心から仏教が薄れるでしょう。」 と。
お釈迦さまの死の直前、弟子たちがたずねます。
「お釈迦さまが亡くなって後々の時代の人々はどうやって救われるのですか?」
「私が居なくなった時代の人のために、『法華経』というお経を残しておきましょう。」
「仏という者は私一人を指すのではなく、どんな時代、どんな世の中であっても、人が人を尊び、人が他人を軽んじない、そういう人たち皆、仏といわれる存在なのです。」 「誰もがそういう生き方を必ずできる存在、人は皆必ず仏の心を持つ(仏と成る)ことのできる生き物なのです。その生き方をするために、この法華経というお経を私がいなくなった時代の人たちのために書き残していますので、法華経の教えにそって生きていってほしいのです。」 「あなたを叱責してくれる人、優しく育ててくれる人、注意をしてくれる人、静かに見守ってくれる人、皆、あなたのとって仏の存在であり、大切な人達なのです。もう一度言います。仏とは私一人のことではありません。」 「ですから、仏はいつの時代でも存在する!ということです。末法の時代であっても『お釈迦様』と言う名前で存在していなくても仏様は必ずいるのです。自分の周囲の人たちが皆、自分を成長させてくれる仏様なのだと思っていなさい。」とお釈迦様は残されました。
日蓮聖人は膨大なお経の中からお釈迦様の本当の思いに気づかれたのです。法華経に書かれた
「他人を憎む生き方ではなく、常に苦しみや悲しみ、他者からの不快な出来事に怒ってばかりでは、自分に成長はない!それは全て仏様からの成長させてくれる種なのだ、と思っていくことが信仰の生き方なのだ!」
「お釈迦さまが言い残された、その法華経の内容を心に言い聞かせて生きて参ります」と。

お釈迦様・日蓮聖人・日親上人

お釈迦さま 仏法を最初に説かれた人。 今から2500年前のインドで生まれ、 ネーランジャラー川で沐浴された後、 菩提樹の下に座して、悟りを開い たといわれています。 日蓮聖人 鎌倉時代、お釈迦さまの教えに 気づき、日蓮宗を開かれた僧侶。 法華経を日本中に広めようとしたが、 数々の迫害に合うも、それに屈する ことなく布教を行ないました。 日親上人 室町時代の日蓮宗の僧侶。 国家からの弾圧を受けながらも、 当時の乱れた世の中を救うため、 全国を歩いて布教活動を行いました。

日親上人が開かれた大慶寺

今の大慶寺がある出雲市多久町は、室町時代にいくつかの禅宗の寺があり、ほとんどの人が禅宗を信仰していました。 ある時、ひとりの旅の僧侶が多久の村を訪れました。村は活気がなく、人々は病気や飢饉に悩まされていて、あきらめの気持ちでくらしている様子でした。
なんとか人々に「生きる希望」を持ってもらいたい。僧侶はそう考え、この地で説法をして廻ろうと考えました。
その僧侶こそ、日親上人という日蓮宗の高僧でした。
日親上人は、全国を旅をしながら説法し、日蓮宗の布教をしていたのです。
その旅の途中で、この地を訪れられたのです。
それまで禅宗を信仰していたこの地域に、新たに日蓮宗を説いて廻ったのですから、禅宗のお寺の住職達はあわてます。
そこで、禅宗のお寺の住職達は、どちらが優れている宗派であるか、競うことによって日親上人を追い払おうと考えました。
勝負は、「どちらが正しく仏の教えを伝えることができるのか?」議論することにより決着をつけようとしました。
お互いに質問をし合い、答えが出せなかったほうが負けです。
この勝負は、がわから見ると完全に日親上人が不利に思えました。
相手は複数ですから、いろいろな考えをめぐらすことができるので、日親上人を困らせる質問は考えやすく、また日親上人からの質問を考えるのも複数で考えればよいので、村人はみな日親上人が負けると予想していました。
しかし、その勝負は、日親上人が禅宗の住職達の質問にすべて答えてしまうという形で決着しました。 この議論の勝利により、禅宗のお寺はすべて日蓮宗に改宗されたのでした。
村人は、日親上人の偉業に驚き、感動し日蓮宗を信仰するようになりました。そして、この村のほとんどの人が日蓮宗を信仰するようになりました。
そして、この地に長昌山 大慶寺を開かれたのです。